パウロの今後の計画②(ローマ15:25-29)





15:25 しかし今は,聖なる者たちに奉仕するためエルサレムに旅をするところです。

ローマとスペインを訪問する予定はあるもののパウロにはその前にすべきことがありました。それはエルサレムに戻ることです。彼はこの手紙を書いている当時コリントにいました。




エルサレムに戻る目的は何でしょうか。「聖なる者たちに奉仕するため」です。「奉仕する」というのは、エルサレムのクリスチャンたちに寄付を届ける活動全般を指しています。

「聖なる者」という呼び方は17節にも出ており、そこではローマのクリスチャンたちがそう呼ばれていました。15章25節で聖なる者と呼ばれているのはエルサレムのクリスチャンたちです。クリスチャンはたとえ完全無欠ではなくても、「神から聖別された者」という意味で全員聖なる者と呼ばれます。




15:26 マケドニアとアカイアの人々が,エルサレムにいる聖なる者たちのうちの貧しい人々に寄付をして,自分たちの物を喜んで分け合おうとしたからです。

初期クリスチャンたちは地域を超えて愛の絆で結ばれていました。マケドニア州にはフィリピ会衆やテサロニケ会衆が、アカイア州にはコリント会衆がありました。




マケドニア州とアカイア州のクリスチャンたちは、エルサレム会衆の貧しい兄弟たちを思って進んで寄付し、困難を分かち合うことで兄弟たちを支援しようとしたのです。(コリント第一16:1-4、コリント第二8:1-7、コリント第二9:1-2) パウロの使命はこの寄付を無事に届けてエルサレムのクリスチャンたちへの奉仕を完了させることでした。




15:27 確かに,彼らは喜んでそうしました。

マケドニア州とアカイア州の諸会衆は喜んで寄付を実行しましたが、これは褒めるべき点です。兄弟たちと分かち合う行為は確かに自主的な意思のもとになされなければなりません。




15:27 ですが彼らはその人々に対して負い目のある者なのです。

とはいえマケドニア州とアカイア州の信者たちの寄付は実のところ彼らの義務でもあると述べられています。「自主的なのだからしなくても問題ない」という種類のものではないのです。




15:27 その人々の霊的なものにあずかってきたのであれば,諸国民としても,肉体のための物をもって彼らに公の奉仕をする負い目を持っているからです。

寄付が義務であるといわれているのはなぜでしょうか。エルサレムのクリスチャンがユダヤ人であったのに対し、マケドニア州やアカイア州のクリスチャンのほとんどは諸国民でした。すでに学んだように諸国民はユダヤ人に与えられた神の約束に基づいて過分の親切を受けるようになったのです。つまり諸国の兄弟たちは、エルサレムの兄弟たちの霊的財産(「霊的なもの」)にあずかり、彼らに対して借りのある状態となっていたのです。




15:27 その人々の霊的なものにあずかってきたのであれば,諸国民としても,肉体のための物をもって彼らに公の奉仕をする負い目を持っているからです。

それゆえ諸国の会衆はエルサレム会衆に対して自分たちの持ち物を差し出す義務があるわけです。彼らが差し出せるのは肉的財産(「肉体のための物」)、つまりお金や衣食住に必要なものです。




肉的財産を提供することは決して重要度の低い行為ではありません。パウロはこの行為について「公の奉仕をする」(ギリシャ語leitourgeó)という言葉を当てています。leitourgeóは主に「神への崇拝や奉仕を行う」活動を指す語です。つまり貧しいクリスチャンに物質的な財産を提供することは神への崇拝なのであり、そのような認識で取り組むとき神の目に大いに価値のある奉仕となるのです。

パウロがこの箇所で直接言及しているのはマケドニア州やアカイア州のクリスチャンたちの行為です。とはいえ間接的には、ローマのクリスチャンたちもいずれは同じように兄弟たちを援助する必要が生じることを暗に教えていると見なせます。




15:28 ゆえに,わたしはこのことをなし終えてこの実を確実に彼らのもとに届けた後,あなた方のところを通ってスペインに出発することになるでしょう。

エルサレム会衆の支援はパウロの喜びであり、それと同時に何があっても成功させたい計画でした。「確実に届ける」と訳されているギリシャ語sphragizóには「押印する」という意味があります。印を押して契約を確定させるように寄付という成果を確実に相手方に手渡して計画を完了させること、これがパウロの目標でした。




15:28 ゆえに,わたしはこのことをなし終えてこの実を確実に彼らのもとに届けた後,あなた方のところを通ってスペインに出発することになるでしょう。

敬虔な者の心に浮かぶ聖なる考えは時として実現に至らず終わることもあります。パウロは当初エルサレムからローマへ、それからスペインへと伝道の旅程を進める予定でしたが、悲しいことにこの願いはかないませんでした。実際にパウロはエルサレムで捕らえられ、カエサレアで数年間幽囚の身となり、囚人としてローマに護送されることになったのです。そして結局スペインに行くことなく生涯を終えたのでした。




15:29 また,わたしは,自分が実際にあなた方のもとに行くときには,キリストからの祝福を十分に携えて行くことを知っています。

パウロはエルサレム会衆に対する奉仕を果たし終えた時のことを想像し、「その時にはあふれる祝福がキリストから降り注ぐに違いない」と思い、その祝福を手にしてローマに向かうだろうとの期待に胸を高鳴らせています。