パウロの宣教①(ローマ15:14-16)





1514節から16章まではこの手紙の後文で、読者たちへの連絡事項が記されています。1514-21節にはこの書を書くに及んだ事情が記されています。




15:14 さて,わたしの兄弟たち,あなた方自身はあらゆる知識に満たされてきましたが,また善良さにも満ちていて,互いに訓戒し合うこともできるのであり,わたし自身あなた方についてそのことを確信しています。

「こんな訓戒がましいことを言わなくてもあなた方が信仰面で一層成長できるということをわたしは信じている」という意味です。パウロはローマの人たちの立派な信仰を知っており、その価値を十分に認めていました。また仲間同士で愛のうちに戒め合うこともできる人たちであることを疑わなかったのです。確かに相手を尊敬することなくして的確な教訓を与えることはできません。




15:14 さて,わたしの兄弟たち,あなた方自身はあらゆる知識に満たされてきましたが,また善良さにも満ちていて,互いに訓戒し合うこともできるのであり,わたし自身あなた方についてそのことを確信しています。

パウロが上記のことを確信できたのは、ローマの兄弟たちが「知識」と「善良さ」を十分に持っていることを知っていたからです。知識がある限り善良さが誤用されることはありませんし、善良さがある限り知識が悪用されることはありません。知識と善良さは現代のクリスチャンであるわたしたちにも不可欠です。




15:15 しかしわたしは,あなた方にもう一度思い出させるようなかたちで,幾つかの点についていよいよ率直に書いています。

パウロはさらに謙遜さを示し、直接会ったことのないローマの信者たちの心を不用意に傷つけないよう「この手紙ではところどころかなり思い切って書いたが、それは新しいことを教えるためではなく、すでにあなた方も学んだことを『思い出させる』ためにすぎない」と言っています。




15:15-16 それは,神から自分に与えられた過分のご親切のゆえであり,それが与えられたのは,わたしが諸国民に対するキリスト・イエスの公僕となって神の良いたよりの聖なる業に携わり,こうして,捧げ物であるそれら諸国民が,聖霊によって神聖なものとされ,受け入れられるものとなるためでした。

パウロがあえて率直に書いてきたのには理由がありました。それは彼が神の過分の親切によって諸国民への使徒に任命されたという理由です。使徒の務めを申し分なく果たすためには、時に大胆で毅然とした言い方も必要でした。




15:15-16 それは,神から自分に与えられた過分のご親切のゆえであり,それが与えられたのは,わたしが諸国民に対するキリスト・イエスの公僕となって神の良いたよりの聖なる業に携わり,こうして,捧げ物であるそれら諸国民が,聖霊によって神聖なものとされ,受け入れられるものとなるためでした。

人類のための大祭司はキリスト・イエスにほかなりませんが、使徒はキリストの「公僕」すなわち奉仕人として働きます。パウロには使徒職という神聖な使命に対する深い認識とそれを正しく果たしたいという強い願いがありました。

使徒職は祭司の務めに似たところがあります。使徒も祭司も神のために「聖なる業に携わる」からです。




15:15-16 それは,神から自分に与えられた過分のご親切のゆえであり,それが与えられたのは,わたしが諸国民に対するキリスト・イエスの公僕となって神の良いたよりの聖なる業に携わり,こうして,捧げ物であるそれら諸国民が,聖霊によって神聖なものとされ,受け入れられるものとなるためでした。

古代イスラエルの祭司の役割とは、民のためにささげ物を清めて祭壇でささげ、それによって神の心を喜ばせることでした。パウロも良いたよりを宣べ伝えることによって信仰を持つ諸国民を集め、諸国民というささげ物を聖霊によって清めて神の前に差し出し、それによって神の心を喜ばせることが自分の務めであると考えていました。