約束による選び①(ローマ9:6-9)
イスラエルに対する神の約束が破棄されたかどうかを知るうえで重要なのは、そもそも「イスラエル」が何を指すのかを明らかにすることです。人間的にいえば当然「イスラエル」とは生来のイスラエル民族を指しますが、神の観点ではどうでしょうか。パウロは6節でこの問題に触れ、7-13節で二つの実例をもって回答を示していきます。
なお6-26節は神の選びすなわち「予定」の教理の根拠となる重要な箇所です。予定の教えを否定するのは非聖書的ですが、この教えを理論化しすぎることもかえって不健全な聖書理解に行き着く原因となります。そうならないためにも記されている言葉を忠実に解釈していくことが特に必要となります。
9:6 しかし,これは神の言葉がついえたというようなことではありません。
イスラエルが神から授かった恩恵には「数々の約束」が含まれていました。すなわち救いと祝福に関する特別な約束です。しかし一方でパウロはイスラエル人という理由で人が救われるわけではないことをローマ書で説いてきました。そこでイスラエル人は、「神から救いを約束されたにもかかわらずイスラエルから救われない者も出るのなら、それは神が約束の言葉を放棄されたということではないか」と異議を唱えるかもしれません。パウロはここからこの問題に答えていきます。
9:6 イスラエルから出る者がみな真に「イスラエル」なのではないからです。
まずパウロは上記の異議を唱える人の根本的な誤解を解くことに取りかかります。神は長い間イスラエルに救いを約束してこられましたが、この「イスラエル」というのがそもそも文字どおりのイスラエル国籍を指すわけではないというのが彼の説明です。「イスラエル」という語を霊的な意義において理解することがまず重要ということです。
9:7 また,アブラハムの胤だからといって,彼らがみな子供なのでもありません。
「アブラハムの胤」という語も「イスラエル」と同様に霊的な意義をもって理解することが重要です。
とはいうものの「イスラエル」や「アブラハムの胤」を普通の意味ではなく霊的な意味で解釈すべきというのは、さすがに解せない理屈ではないでしょうか。そのような反論も予期できるためパウロはこの考え方の合理性を証明してくれる例を神の言葉から引用します。出した例は二つ、7-9節のイサクの例と10-13節のヤコブの例です。
9:7 むしろ,「『あなたの胤』と呼ばれるものはイサクを通してであろう」とあります。
初めにイサクの例です。
アブラハムにはイシュマエルとイサクという二人の息子がいました。イシュマエルはアブラハムとハガルの間に生まれた子で、イサクはアブラハムとサラの間に生まれた子でした。イシュマエルは夫婦の自然な性関係によって生まれましたが、イサクは特別な神の約束とそれに対するアブラハムの信仰によって生まれました。
それでは自然な意味で「アブラハムの胤」となったのはだれでしょうか。イシュマエルです。神はアブラハムの胤が繁栄すると約束しておられましたが、肉的な意味が決め手になるのであれば、アブラハムの胤はイシュマエルの家系となったはずです。
しかし神がアブラハムの胤に選定されたのはどちらでしょうか。パウロは創世記21章12節を引用し、それがイシュマエルではなくイサクの家系であったことを示しています。自然な方法によらずに生まれたイサクのほうが神の目には「アブラハムの胤」だったのです。
9:8 つまり,肉による子供が真に神の子供なのではなく,約束による子供が胤とみなされるのです。
要点は次のとおりです。肉的に生まれたイシュマエルは「アブラハムの胤」となりませんでしたが、これと同じように血統上のイスラエル民族が「神の子供」となるのではありません。
パウロはここで「アブラハムの胤」と言うべきところを「神の子供」と言い換えていますが、この二つは交換可能な表現です。なぜなら「アブラハムの胤」であるイスラエルは4節にあったとおり養子縁組にあずかり、その結果「神の子供」と見なされたからです。
約束によって特別に生まれたイサクは「アブラハムの胤」となりましたが、これと同じように約束によって神の民とされた者たちがイスラエルであり、「神の子供」なのです。これが「イスラエル」の霊的な意義です。
9:9 約束の言葉は次のとおりでした。「この時期にわたしは来る。そして,サラには男の子ができるであろう」。
イサクが神の約束によって奇跡的に生まれた子であることは間違いありません。ここに引用された創世記18章10,14節にその神の「約束の言葉」が確かに記録されているからです。サラに生まれた男の子はイサクにほかなりません。
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