同族へのパウロの愛①(ローマ9:1-3)
8章の終わりに歓呼の声を上げたパウロは、ここにきて自分の同族イスラエルの不信仰を思い、いたたまれない気持ちを抱くようになりました。神はイスラエルとの約束を放棄されたのか。イスラエルは神に選ばれた民ではなかったのか。そしてイスラエルと諸国民の救いの最終結末はどうなるのか。パウロの心には数々の問題と懸念が生じました。9章から11章まででパウロはこれらの問題を取り上げ、一つ一つ回答を出していきます。3章21節から8章までの主題が「個人の救い」であれば、9章から11章までの主題はイスラエルと諸国民の救い、すなわち「世界の救い」です。
パウロはまず9章1-5節でイスラエルが神から得ていた特権に読者の注意を向けます。
9:1 わたしはキリストにあって真実を語ります。
これから話すことが読者には異様に聞こえるかもしれないことを考慮し、パウロは本題に先立って自分の語ることが真実であることをキリストの名にかけて誓っています。
9:1 偽りを述べるのではありません。
これも「真実を語る」と同じ意味です。
9:1 わたしの良心も聖霊によって共に証ししているからです。
パウロは「わたしの良心も共に証ししている」と宣言し、良心に従って真実を語る自分の意思を表明しています。そこに「聖霊によって」という表現も加え、自分の発言が神の前でも偽りでないことを保証しています。ここまで強い誓いを述べるパウロの意図は、とりわけ彼が当時のユダヤ人たちから祖国を愛さない反逆者のように見なされていたことを考えると十分に理解できるものです。
9:2 わたしの心には大きな悲嘆と絶えざる苦痛があります。
パウロの内面には尋常でない憂いとそこから生じる心の痛みがありました。「大きな悲嘆」や「絶えざる苦痛」があると述べたのは決して誇張ではありませんでした。
9:3 わたしは,自分の兄弟たち,肉によるわたしの同族のために,自分自身がのろわれた者としてキリストから引き離されることをさえ願うのです。
何がパウロをここまで悩ませたのでしょうか。それは同胞のイスラエル人たちを思う気持ちでした。彼は自分の祖国であるイスラエルを熱愛し、もしこれを救えるなら自分が死んでも構わないという覚悟でいました。
パウロは自分が「のろわれた者」(ギリシャ語anathema)となってもよいと言っています。呪いは祝福の反対で、神の過分の親切から引き離されて滅びと裁きの下に置かれることを意味します。イエスは父なる神から見捨てられる者として死ぬことを人類の救いのために甘んじて受けられましたが、パウロも神とキリストから見捨てられることをいとわないほどにイスラエルの救いを願っていたのです。
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