兄弟をつまずかせない②(ローマ14:19-23)





14:19 それですから,平和に役だつ事柄や互いを築き上げる事柄を追い求めましょう。

つまらないことで争って互いに傷つけ合うことは少しも益となりませんし、神にも人にも良しとされません。むしろ心がけるべきなのは「平和に役だつ事柄」を追い求めることです。平和な関係を作ること、平和を取り戻すこと、平和を維持して促進することを目指して行動するのです。

もう一つ心がけたいのは「互いを築き上げる事柄」を追い求めることです。「築き上げる事柄」という語が出てきましたが、これはギリシャ語oikodoméの訳語です。oikodoméは本来「家を建てること」を意味しますが、他にも「信仰を造り上げること」、「徳を高めること」、「向上」、「霊的成長」などの意味に解釈することができる語です。

会衆はキリストを基礎とする建物になぞらえられます。(コリント第一3:10-17、エフェソス2:19-22) わたしたちは個人としても会衆としてもキリストを目指して成長し、神の建物として完成されていくように努めなければなりません。




14:20 ただ食物のために神のみ業を打ち壊してはなりません。

人の心に信仰を育てるのは神であり、人々を召し集めて会衆を造り上げるのも神です。すなわち会衆も個々のクリスチャンも「神のみ業」なのです。飲食のような些細な問題で神の建物である会衆や個人の信仰を破壊すべきではありません。




14:20 確かに,すべての物は清いのですが,つまずきのきっかけとなるのにそれを食べる人には害になります。

本質的に汚れている食物はありません。ゆえに知識を持つ者にとってすべての食物は清く、そこに禁じられた食物などはありません。とはいえ強い人の食べる物が害となるものに変わるときがあります。それは弱い人をつまずかせながら食べる場合です。弱い人の気持ちに配慮することもなく自分の自由を押し通し、それによって相手が信仰を失ったり罪に誘われたりすることも気にかけないようであれば、強い人のその食事は自分と相手にとって非常に有害なものとなります。






14:21 肉を食べること,ぶどう酒を飲むこと,また何にせよあなたの兄弟がつまずくような事は行なわないのが良いのです。

実際は清いと知りつつも兄弟をつまずかせないために肉や酒を飲み食いしないのは実に殊勝な心がけです。真の思いやりであり、強い者から弱い兄弟への愛の行為だからです。信仰による自由を制限する唯一のものは愛です。




14:22 あなたの抱く信仰は,神のみ前で自分自身にしたがって抱きなさい。

兄弟のために行動を調整したからといって自分の良心を曲げることにはなりません。弱い人が見ている前では配慮ゆえに自分の行動を制限するとしても、引き続き神に対しては肉や酒を飲食しても差し支えないという自分の確信を保ってよいのです。神との一対一の関係の中で当人が確信していることについてはだれも干渉できません。




14:22 自らよしとしている事柄について自分を裁かないでよい人は幸いです。

もちろんその確信を自分自身の良心が許していることは必要です。特定の問題に関して思慮を重ね、「わたしはこうする」と判断したとしても、自分の良心がその決定をとがめているのであれば考え直すのが最善です。神との関係で決めたことと自分の良心の声が一致した状態、言い換えると「自らよしとしている事柄について自分を裁かないでよい」状態こそが理想です。




14:23 しかし,疑念を抱いている場合,それでもなお食べるなら,その人はすでに罪に定められています。

自分の決定を良心がとがめているうちは心の中に不安や疑いがあります。わたしたちがもしその感情を押し切ってまで自分の決定に沿って行動するなら、その行動は罪となります。この点、弱い人は特に注意する必要があるでしょう。




14:23 信仰によって食べているのではないからです。

自分の心に疑いがあるのに食べるというのは神に対する不誠実の態度であり、神への不誠実はとりもなおさず不信仰であり、不信仰は罪です。






14:23 実際,信仰から出ていないことはみな罪です。

誠実と信仰を欠いた心で神を喜ばせることはできません。自分の良心をごまかしつつ神の前で行う行為は罪です。ゆえに最も大切なことは、無理に飲食して強いクリスチャンを装うことではなく、真実の心から出た判断を自分に与えられた確信として持つことです。神の前に自分を偽ること以上に大きな罪はありません。

クリスチャンの自由がかかわる問題の判断基準は信仰です。信仰によって行うこと、すなわち神への誠実と確信に満ちた心で行うことはそれ自体が神の前に正しい行為と判定されます。疑いつつ周囲の考えに流されてとる行動は、行動の内容のいかんにかかわらず罪と見なされるのです。