社会的権威への服従②(ローマ13:5-7)
13:5 したがって,あなた方がどうしても服従するべき理由があります。
権威者たちが担う役割に対する正しい理解は、わたしたちが社会的権威に服従する動機となります。
13:5 その憤りのためだけではなく,あなた方の良心のためでもあります。
わたしたちは「憤りのため」、つまり権威者の憤りと処罰を受けたくないゆえに彼らに従って善を行います。
とはいえ権威に従う動機はそれだけではありません。「良心のため」でもあります。すなわち権威者に服することがクリスチャンに対する神の意志であることを知っており、その意志にかなう者となりたいと願う心のゆえに従うということです。権威に対する服従は社会的利害だけでなく神との関係にも影響を与えるのです。
13:6 それゆえに,あなた方は税を納めてもいるのです。
市民には納税の義務がありますが、この義務も「良心のため」に果たす必要があります。税金を納めるのは神の意志を意識する自分の良心の声に従うからであって、単に滞納した場合の罰則が怖いからではありません。
13:6 彼らは,まさにこのために絶えず奉仕する神の公僕だからです。
このような正しい動機で権威に従ううえで必要なのは、権威者の背後に神がおられることを意識することです。権威を実際に行使しているのは人間の権威者ですが、彼らはあくまで神の奉仕人としてその役目を果たしているのです。
「公僕」と訳されているギリシャ語はleitourgosの意味は「奉仕する人」です。たとえローマ政府のような異教の文化圏にある権威であっても、市民に義務を果たさせて社会の秩序を守る点では神に仕える公僕なのです。
神を信じない支配者たちを「神の公僕」ではなくサタンの僕であるかのように考えるのは、残念ながらクリスチャンに起こりやすい発想です。特に自分たちが国家権力に迫害されるときはなおさらそう考えたくなるものです。しかしこの問題に対して聖書がまったく異なる立場をとっていることに注意しなければなりません。聖書は世の権威を神の意志によって立てられたものと教えています。これは言い換えると社会の諸国家は間接的に神の支配の下にあるということです。それゆえに権威者が不信仰であってもその立場を軽視せず、まして侮辱したり反抗したりせず、これに服して課されたすべての義務を履行すべきなのです。これはすべて神に対するクリスチャンの責務として良心的に果たすべきものです。
13:7 すべての者に,その当然受けるべきものを返しなさい。
納税以外にも市民は権威者に対して義務を負っています。その義務が理不尽に思えることも時にあるかもしれませんが、クリスチャンは権威者が神の僕として職務に励んでいることを知っているため誠意をもって自分の義務を履行します。
13:7 税を要求する者には税を,貢ぎを要求する者には貢ぎを,恐れを要求する者にはしかるべき恐れを,誉れを要求する者にはしかるべき誉れを。
一つ目の分類は「税」と「貢ぎ」です。それぞれphorosとtelosがもとのギリシャ語で、前者は「人に課せられる租税」、後者は「物に課せられる関税とその他の租税」を意味するようです。どちらも行動によって示す有形の義務であり、おろそかにしてはならない重要な義務です。
13:7 税を要求する者には税を,貢ぎを要求する者には貢ぎを,恐れを要求する者にはしかるべき恐れを,誉れを要求する者にはしかるべき誉れを。
二つ目の分類は「恐れ」と「誉れ」です。それぞれphobosとtiméがもとのギリシャ語で、前者は「うやうやしい尊敬」、後者は「栄誉」を意味します。こちらは態度によって示す無形の義務であり、これらも税を納めるのと同じように権威者に帰すべきものです。
こうして1-7節を学習すると、聖書が社会的権威に無条件の服従を求めているかのように思えて当惑する人も出てくるかもしれません。わたしたちは神の意志に反してまで権威に服するべきなのでしょうか。決してそうではありません。そもそも権威に従うのはその行動によって神の意志にかなう者となるためでした。ですから神の言葉に相反することを権威者が要求する場合わたしたちはその要求より神の言葉に従わなければなりません。
ではこの場合どのようにして権威者に対する義務を果たせるでしょうか。要求に従わなかった結果として与えられる社会的な刑罰に服することによってです。場合により過料や罰金、もしかすると懲役などが科せられるかもしれません。クリスチャンは従えなかった要求に代わるものとしてこれらの刑罰に忍従することができます。決して処罰に抵抗したり権威者を呪ったりしてはなりません。神と対立するようなことを要求する権威者自身に対する裁きは、最終的に神が下されることだからです。
以上の方法でクリスチャンは神への服従と支配者への服従を両立させることができます。
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