兄弟愛(ローマ12:9-13)





9-21節にはクリスチャンにとって最も重要な原則、すなわち愛の原則が述べられています。6-8節にあるような各種の賜物と違って愛はだれもが表すべきものです。クリスチャン全員がこの箇所に書かれた原則の趣旨を心得なければなりません。




全体的に見ると、9-13節は主に会衆内で適用すべき愛の原則を述べています。




12:9 あなた方の愛を偽善のないものにしなさい。

偽善的な愛は愛でありえません。人が陥りやすい最大の危険の一つは、愛が本心からではなく上辺を繕って示されることです。偽善のない愛を示すことはクリスチャン相互間で特に重要ですが、それだけでなく見ず知らずの人に表すような一般的な愛においても重要なことです。




12:9 邪悪なことは憎悪し,善良なことにはしっかりと付きなさい。

真の愛は悪を憎む行動となって表れます。「憎悪する」と訳されているギリシャ語apostugeóは「ひどく忌み嫌う」行為を表す言葉です。愛があれば邪悪な行為に対して毅然とした態度に出ることを恐れません。




12:9 邪悪なことは憎悪し,善良なことにはしっかりと付きなさい。

真の愛は善から離れない行動となって表れます。「しっかりと付く」と訳されているギリシャ語kollaóには「密着して離れない」という意味があります。




12:10 兄弟愛のうちに互いに対する優しい愛情を抱きなさい。

「兄弟愛」、これはクリスチャンの集まりが家族であることを表す選び抜かれた言葉です。クリスチャン同士の愛とは兄弟愛なのであり、そこには家族の絆、親子の絆、兄弟姉妹の絆のような親密な関係が存在します。




12:10 互いを敬う点で率先しなさい。

クリスチャンは兄弟愛ゆえに互いに対して礼儀正しくあり、互いを尊敬します。自分が敬われることを待つようではなく、だれよりも先に相手を敬う側に回る態度でいるべきです。




12:11 自分の務めを怠ってはなりません。

クリスチャンとして務めを果たすときは勤勉であるべきです。怠惰に陥らないことが大切です。




12:11 霊に燃えなさい。

務めを果たすときの自分の霊はいつも熱意に満ちている必要があります。勤勉さは外的性質ですが、熱意は内的性質です。




12:11 エホバに奴隷として仕えなさい。

勤勉さと熱意を併せ持つことでわたしたちは主の奴隷としての自分の責務を十分に果たすことができ、ひいては神とキリストに対する自分の献身をまっとうすることができます。ちなみに「エホバ」はギリシャ語原文で「主」となっています。




12:12 希望によって歓びなさい。

クリスチャンは希望を持つゆえにいつも歓喜することができます。苦しい境遇に置かれていてもです。




12:12 患難のもとで耐え忍びなさい。

迫害などの患難が生じてもクリスチャンは忍耐します。神が約束してくださった救いにあずかるには忍耐が必要であることを知っているからです。




12:12 たゆまず祈りなさい。

希望を保つにしても忍耐するにしても祈りは欠かすことができません。祈りはクリスチャンにとって呼吸ほど不可欠なものです。




12:13 聖なる者たちと,その必要に応じて分け合いなさい。

パウロは愛の実行方法を教えています。「聖なる者」すなわち信者同士では互いに必要とする物を補い合うのが当然の責務です。ゆえに貧しい信者がいるならそれを自分のことのように気遣い、苦痛をともにし、必要物を備えて助けなければなりません。

ここで強調されているのは一方的に助けるような「施し」ではなく、相互に助け合うような「分け合い」です。クリスチャンに対する迫害が激しかったローマにおいてこの必要性は大きかったことでしょう。




12:13 人をもてなすことに努めなさい。

もう一つ当時の社会において重要視されていた隣人愛の実行方法がありました。見知らぬ人を温かくもてなすことです。(ヘブライ13:1-2、ペテロ第一4:8-9) パウロはその行為に「努める」よう勧めています。必要に迫られて旅人を自分の家に受け入れるだけでなく積極的に招き入れるべきなのです。