賜物の活用②(ローマ12:6-8)
12:6-7 こうしてわたしたちは,自分に与えられた過分のご親切に応じてそれぞれ異なった賜物を持っているのですから,それが預言であれば,自分にあてがわれた信仰に応じて預言をし,奉仕の務めであれば,その奉仕の務めに携わりましょう。
キリストの体の各部であるわたしたちには神から個別に過分の親切が与えられています。それに伴い賜物も個別に与えられています。過分の親切の具体的な形が「賜物」ですので、過分の親切が多様である限り賜物も多種多様にわたるのです。各々は自分の受けた賜物に従ってその分を果たさなければなりません。パウロは6-8節で七個の賜物の例を列挙しています。
12:6-7 こうしてわたしたちは,自分に与えられた過分のご親切に応じてそれぞれ異なった賜物を持っているのですから,それが預言であれば,自分にあてがわれた信仰に応じて預言をし,奉仕の務めであれば,その奉仕の務めに携わりましょう。
一つ目の賜物は預言です。
「預言」と訳されたギリシャ語prophéteiaは「神の啓示を受けて将来の出来事を予告すること」を指す語です。しかし将来の出来事に限らず、聖霊によって神聖な奥義を説いたり発表したりすることもprophéteiaに含まれます。初期クリスチャン会衆において預言者の任務は使徒に次ぐ重責だったようです。
この賜物を持つ人の注意点は、あてがわれた信仰の量に応じて預言することです。神は当人の信仰に比例して啓示を与えられます。よって与えられてもいない預言を虚偽の心で語ってはならず、逆に弱気になって与えられた預言も語れないようではいけないのです。神から示された真理をそのまま発表するのが預言者の責務です。(テサロニケ第一5:20)
12:6-7 こうしてわたしたちは,自分に与えられた過分のご親切に応じてそれぞれ異なった賜物を持っているのですから,それが預言であれば,自分にあてがわれた信仰に応じて預言をし,奉仕の務めであれば,その奉仕の務めに携わりましょう。
二つ目は奉仕の務めです。
「奉仕の務め」と訳されたギリシャ語diakoniaは「会衆内で仲間の信者を世話する働き」を指す語でもあります。初期クリスチャン会衆には食事の世話をして貧しい信者や弱い信者を救済する人たちがいましたが、(使徒6:1-6) この種の仕事が奉仕の務めです。
パウロは奉仕の僕として仕える人の要件をテモテに対して述べましたが、(テモテ第一3:8-13) この奉仕の僕となるのがまさに奉仕の務めの賜物を与えられた人たちでしょう。この人たちは奉仕することに専念しなければなりません。
12:7-8 また,教える者はその教えの業に携わり,説き勧める者はその勧めの業に携わり,分け与える者は惜しみなく分け与え,主宰の任に当たる者は真剣にそれを行ない,憐れみを示す者は快く示しなさい。
三つ目は教えることです。
「教える」と訳されているのはギリシャ語didaskóです。聖書について人に教え、教訓を与えて理解させることに力を発揮する人がいますが、その人は教える方面に力を尽くすべきです。特に知識の賜物を受けた人はこの務めに当たるのが適切でしょう。
12:7-8 また,教える者はその教えの業に携わり,説き勧める者はその勧めの業に携わり,分け与える者は惜しみなく分け与え,主宰の任に当たる者は真剣にそれを行ない,憐れみを示す者は快く示しなさい。
四つ目は説き勧めることです。
「説き勧める」と訳されているギリシャ語parakaleóの基本的な意味は「そばに呼ぶ」です。ここから転じて「説き勧める」行為や「励ます」行為を指すこともあります。この賜物を授かった人は信仰の弱い者を奮起させるべく励ますことに力を注いで自分の役割を果たさなければなりません。感情の豊かな人に特に適する働きといえます。
12:7-8 また,教える者はその教えの業に携わり,説き勧める者はその勧めの業に携わり,分け与える者は惜しみなく分け与え,主宰の任に当たる者は真剣にそれを行ない,憐れみを示す者は快く示しなさい。
五つ目は分け与えることです。
「分け与える」と訳されているのはギリシャ語metadidómiです。具体的にこれは寄付することや施すことを指します。経済面で恵まれた人は困っている人に物質面で分け与えることのできる資力を賜物として与えられているかもしれません。
この賜物を持つ人に求められるのは惜しみない心で施すことです。純粋に助けたいという思いで分け与えるべきです。自分の行為によって見返りを求めたりすべきではありませんし、それによって名誉を求めることも避けなければなりません。
12:7-8 また,教える者はその教えの業に携わり,説き勧める者はその勧めの業に携わり,分け与える者は惜しみなく分け与え,主宰の任に当たる者は真剣にそれを行ない,憐れみを示す者は快く示しなさい。
六つ目は主宰の任に当たることです。
「主宰の任に当たる」と訳されたギリシャ語proistemiには「管理人である」とか「保護者である」という意味があります。この務めに含まれるのは会衆の監督、指導、保護などです。全体をまとめて会衆の秩序を守る役割と見てよいでしょう。
この賜物を持つ人に求められるのは真剣な態度です。熱心に、勤勉に、必要なら迅速に任務を果たすべきです。面倒くさがって骨惜しみしたり怠惰になったりしてはなりません。
12:7-8 また,教える者はその教えの業に携わり,説き勧める者はその勧めの業に携わり,分け与える者は惜しみなく分け与え,主宰の任に当たる者は真剣にそれを行ない,憐れみを示す者は快く示しなさい。
七つ目は憐れみを示すことです。
「憐れみを示す」の意味については9章14-15節の注解を参照してください。憐れみの賜物を与えられた人は神の憐れみに倣い、病気の人や悩む人、罪に陥った人などに深い憐れみを示して助けなければなりません。これは決して簡単な仕事ではありません。
この賜物を持つ人に求められるのは快く行うことです。憐れみを示す人が喜びのうちにこれを行うなら、手を差し伸べられた人は真の意味で慰めを得るでしょう。
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