神の知恵の深さ(ローマ11:32-36)





321節以降の救いに関する教理の部分は1132-36節の賛美によって終わります。

パウロは9章からイスラエルの不信仰という問題に取り組み、いわば狭い海峡を航行するようにいくつもの難題を順次解決してきました。その過程で彼はイスラエルの不信仰が最終的に世界の救いにつながることを発見し、ついに航行の末に大海に出たかのような高揚感で神をたたえます。




11:32 神は彼らすべてを共に不従順のうちに閉じ込め,こうしてそのすべてに憐れみを示そうとされたのです。

救いは神の憐れみにかかっています。その憐れみは選ばれるに値しない者を選び、救われる値打ちのない者を救うことによって表されます。神はまず諸国民に大きな憐れみをお示しになりました。彼らは神を知らず、神に従わず、神の憤りの下にいました。にもかかわらず救いを受けたのです。

また神は諸国民だけでなくユダヤ人にも憐れみを示すことにされました。そのためユダヤ人を諸国民と同様に不従順の状態に閉じ込め、彼らが律法を完璧に守るなどして神の義に到達することができないようにされたのです。




11:32 神は彼らすべてを共に不従順のうちに閉じ込め,こうしてそのすべてに憐れみを示そうとされたのです。

こうして神はユダヤ人にも諸国民にも憐れみが及ぶように取り運ばれました。実に全人類を不従順の中に封じ込め、救われる理由がただ一つ、神の憐れみのみとなるようにされたのです。

32節には「神がすべてに憐れみを示そうとされた」とあります。これは世の終わりに人類が一人残らず救われるという意味でしょうか。この点について聖書から断定的な答えを出すことはできません。聖書が明らかにしているのは、神があらゆる人の救いを望み、(テモテ第一2:4) そのために人々の悔い改めを待って長く辛抱しておられるということです。(ペテロ第二3:8-9) 一方で聖書は、どんな場合でも人が信仰を抜きにして、つまり神への従順なくして救いにあずかることはできないこと、そして神は個々人に信仰や従順を強要せず、各自に選択の自由を与えておられることを示しています。ですのでそこから考えると、必ずしもすべての人類が救われるとは断言できません。

ただし神は全能であり、人間に想像もできないことを計画する知恵と知識をお持ちです。最後には何らかの方法ですべての人に手を差し伸べ、ご自身の憐れみの中に取り込まれるということも絶対に考えられないわけではありません。いずれにしろ神はこの問題の答えをあえてわたしたちに啓示しておられません。いま生きて良いたよりを聞くことのできる状況にあるわたしたちには直接関係のない奥義だからです。わたしたちは神の手中にあることをみだりに詮索しないようにすべきです。ただ神への賛美と恐れの気持ちを抱き、自分の信仰を日々見直しつつ生活するようにしましょう。




11:33 ああ,神の富と知恵と知識の深さよ。

イスラエルの不信仰はパウロにとって大変悲しい事実でした。しかしそれも結局はすべての人を救おうとする神の計画の一段階ということでした。このことを再認識したパウロは、こみ上げてくる崇敬と驚異の思いを抑制しえず、いよいよ大きな賛美の叫びを上げます。

神は「知識」をもってすべての物事の結果を徹底的に見通し、「知恵」をもって万事を人類の救いの計画を実現する手段に変えていかれます。そしてご自身の栄光と恩恵が豊かであることを「富」の深さとしてお示しになります。




11:33 その裁きは何と探りがたく,その道は何とたどりがたいものなのでしょう。

人間は神の定めを理解し尽くすことなどできません。神の道を終局まで見ることも到底できません。




11:34-35 「だれがエホバの思いを知るようになり,だれがその助言者となったであろうか」,また,「だれがまず神に与えてその者に報いがされなければならないようにしただろうか」とあるのです。

パウロは神の「知識」と「知恵」の深さを強調するためにイザヤ4013節を引用します。

いかなる人間も神の思いを知ることはできず、神の知識を会得することはできません。イスラエルの救いに関する奥義についてもそうです。そして神は何かを実行する際にだれの助けも相談も必要とされません。ご自身の至上の知恵だけに従って一切のことを行われますので、人間が助言者として進言する余地は一切ありません。




11:34-35 「だれがエホバの思いを知るようになり,だれがその助言者となったであろうか」,また,「だれがまず神に与えてその者に報いがされなければならないようにしただろうか」とあるのです。

パウロは神の「富」の深さを強調するためにヨブ4111節を引用します。

神はありとあらゆるものを無限に有しておられます。不足しているものは何一つありません。ですのでだれも神に何かを与えるということはできませんし、神からお返しをいただくということもできません。






11:36 すべてのものは神から,また神により,そして神のためにあるからです。

神は創造者です。ゆえにすべてのものは「神から」生み出され、神を原点として存在しています。

神は支配者です。ゆえにすべてのものは「神により」進展し、動かされ、保たれています。

神はすべてをご自身の栄光のために働かせられます。ゆえにすべてのものは「神のために」存在し、最後には神に帰します。




要するに万物は始まりも途中も終わりも神の絶対の支配下にあるということです。富と知恵と知識を持つ神は実に全宇宙の主です。人類の歴史はすべてこの方の手によって導かれるときに最善の結果に至るのです。




11:36 神に栄光が永久にありますように。アーメン。

過分の親切と真理に満ちる神。知恵と知識と富を無限に持つ神。これこそ神の栄光の表れです。パウロは世界と人類の歴史を貫く神の驚くべき計画を知り、心から驚きと賛美の声を発しました。わたしたちがすべきことは、ただひれ伏して神の永遠の栄光を賛美する以外にありません。