救いの絶対性(ローマ8:31-34)





31-39節でパウロは五つの問いを次々と発し、救いの絶対性と確実性を強く示していきます。第一の問いが31節、第二が32節、第三が33節、第四が34節、そして第五が35-39節にあります。




これらは61節などの問いと異なり、反論として仮定的に提起された問いではありません。むしろここまでの論述のまとめとして結論を強調するために提起された問いと見なせます。これらの問いにはクリスチャンとしてのパウロの確信と感謝と神への賛美が言外ににじんでいます。




8:31 では,これらのことに対してわたしたちは何と言えばよいでしょうか。もし神がわたしたちの味方であるなら,だれがわたしたちに敵するでしょうか。

18-27節ではクリスチャンの現在の苦しみが、28-30節では神の救いの計画が論じられていましたが、パウロは「これらのことに対してわたしたちは何と言えばよいか」と問いかけ、導き出すべき結論を述べ始めます。




8:31 では,これらのことに対してわたしたちは何と言えばよいでしょうか。もし神がわたしたちの味方であるなら,だれがわたしたちに敵するでしょうか。

「神が味方ならだれがわたしたちに敵対するだろうか」。この一つ目の問いは、この後に続く問いの総論のような形をとっています。

神はわたしたちの救いの源です。そうである以上わたしたちの救いは盤石のように確実です。神がわたしたちの側にいてくださる限りわたしたちは無敵であり、いかなる反対も恐れるには及びません。

救いの確信がわたしたちの側の自覚や単なる聖書的知識に基づくのであれば、その確信は極めて不確実なものです。しかし救いの土台が神の側にあるのであれば確実です。敵対する者や奪おうとする者がいてもわたしたちの救いは微動だにしません。わたしたちを神から引き離しうる者は全宇宙に一人といえ存在しないのです。




8:32 ご自身のみ子をさえ惜しまず,わたしたちすべてのためにこれを引き渡してくださったその方が,どうしてそのご親切によって,み子と共にほかのすべてのものをも与えてくださらないことがあるでしょうか。

「御子を与えた神は他のすべてを与えてくださらないだろうか」。これが二つ目の問いです。

神は現にすべての物事をわたしたちの救いのために備えてくださっており、さらに将来はクリスチャンがキリストとともに万物を支配するように計画しておられます。ゆえにわたしたちはこの世で貧しくても霊的には無限に富んでいます。この祝福を奪い取ることができる人はいません。

万物が与えられることをわたしたちが確信できる理由、それは神が愛であるという事実です。神の愛は限りなく、独り子を人類のために死に渡すことさえも惜しまないほどに深いものです。愛の神が御子イエス以外のすべてのものをわたしたちに与えてくださらないはずがありません。独り子の命は他のすべてのものと比較にならないほど大きな価値があるのです。




8:33 神の選ばれた者たちに対してだれが訴えを提出するでしょうか。

「神が義としてくださっている以上だれがわたしたちを訴えられるだろうか」。これが三つ目の問いです。

救われる者として選ばれたわたしたちはどんな訴えや非難にもひるむことがありません。神以外にわたしたちを有効に裁くことのできる者は存在しないからです。




8:33 神が彼らを義と宣しておられるのです。

万一わたしたちを訴える人がいるとしても大丈夫です。わたしたちを義と宣言したのは神であり、わたしたちを裁くのも同じ神だからです。神はご自身の宣言を翻されません。




8:34 罪に定める者はだれですか。

「キリストの執り成しがある以上だれがわたしたちを罪に定めうるだろうか」。これが四つ目の問いです。

神が味方でいてくださるだけでもわたしたちの救いは十分に確実ですが、それをさらに確実にする事実がここに記されています。キリスト・イエスもまたわたしたちの味方であるという事実です。もはやだれがわたしたちを罪に定めようとするでしょうか。




8:34 キリスト・イエスは死んでくださった方,いえ,死人の中からよみがえらされて神の右におられる方であり,この方はまた,わたしたちのために願い出てくださるのです。

たとえわたしたちが罪人として断罪されそうになることがあるとしても心配する必要はありません。そのときは神の右で全宇宙の支配権を行使するキリストがわたしたちに代わって神の前に進み出、わたしたちが無罪であることを完璧に弁護してくださるのです。キリストは義と正しさの点で非の打ちどころのない方です。父なる神がこの方の弁護を聞き入れられないはずがありません。

なお「願い出る」という語が26節でも使われていたことを思い出してください。そこでは聖霊がわたしたちのために神に願い出てくださると書かれてありました。要するにクリスチャンの内側には聖霊という助け主が宿っておられ、神の右にはイエス・キリストという助け主が立っておられるのです。これ以上の執り成しと助けはありません。




8:34 キリスト・イエスは死んでくださった方,いえ,死人の中からよみがえらされて神の右におられる方であり,この方はまた,わたしたちのために願い出てくださるのです。

パウロはキリスト・イエスのことを「死んでくださった方」と表現し、過去にキリストがわたしたちに代わって裁きを受け、死を遂げ、わたしたちの罪を取り除いてくださった事実に注意を引いています。

それに「死人の中からよみがえらされて神の右におられる方」という表現を加え、キリストが復活し、わたしたちを義とするために現在生きておられることを示しています。