【概説】 ローマ人への手紙について
1 ローマ書の著者
ローマ人への手紙の著者は使徒パウロです。
パウロはユダヤ人としてキリキア州のタルソスに生まれ、エルサレムで律法教師ガマリエルから学び、ギリシャ文化とユダヤ思想の影響を受ける環境の中で育ちました。若い日々の彼は先祖と同じ道を進み、熱心にクリスチャンを迫害していました。(使徒22:3-5、フィリピ3:4-6) ところが迫害の目的でダマスカスに向かっていた途上イエスに出会い、この時に回心して最も忠実なクリスチャンとなり、さらには諸国民に良いたよりを宣べ伝える使徒となったのです。(使徒9:1-16、使徒22:6-16、使徒26:12-23)
パウロは小アジアやギリシャ地方を巡る伝道旅行を三度行い、各地でユダヤ人や異教徒の迫害に耐えながら多くの会衆を創始しました。その後ユダヤ人の反対のためにエルサレムで捕らわれの身となり、それからローマに移送されてそこで幽閉されました。その後の経緯は聖書に記録がないため不確かなのですが、最後はおそらく67年ごろ皇帝ネロの迫害によって殉教の死を遂げたものと考えられています。
パウロはイエスの十二弟子の一人ではありませんでした。それでも彼らに劣らず多く働き、諸国民への宣教の基礎を据え、クリスチャン・ギリシャ語聖書の書の多くを書き著しました。
2 ローマ会衆の歴史と状況
ローマ会衆はユダヤ、シリア、小アジア地方からローマに移動したクリスチャンたちによって構成されていたものと思われます。その他ペンテコステの祭りのころにエルサレムに来ていたローマ人で、クリスチャンに改宗してローマに帰った人々もいたことでしょう。彼らが40-50年代にローマで良いたよりを広め、次第に原始的な形でクリスチャン会衆が形成されていったと推測できます。
ローマ会衆はユダヤ人と諸国民が混在する集まりでした。どちらが多かったかについては諸説ありますが、ローマ書の内容やその他の事情を踏まえて考えると、諸国民が比較的多かったように思えます。
3 著者がローマ書をしたためた動機
ガラテア州、アジア州、マケドニア州、アカイア州での伝道をひととおり終えたパウロの願いは、当時の世界の首都ローマにまで足を延ばし、さらにスペインにも良いたよりを伝道しに行くことでした。ローマの都は当時の世界の中心であったためパウロはそこで伝道することに特別の関心を持ち、すでに信者となった人々に対してもキリスト教の真理を正しく説明する必要を痛感していました。そういうわけでパウロは自分自身がその地に赴く前に手紙を通して彼らを教育しようと思い立ち、この書をしたためたのです。
4 ローマ書の特徴
上記の目的ゆえにローマ書はコリント書などと異なり、会衆内の特定の課題を取り扱ったような内容とはなっていません。またガラテア書のようにユダヤ主義のクリスチャンの主張を論駁するような内容ともなっていません。良いたよりの根本、すなわち「人は神の過分の親切ゆえにイエス・キリストへの信仰によって義と宣言される」という教理を終始秩序立てて論じているのがローマ書です。
それでもこの書が決して読者に冷たい印象や無味な印象を与えないのは、そこに整然とした理論だけでなく、救われた者としての歓喜、神への賛美や感謝、不信仰に対する強い憤り、そして罪との葛藤ゆえに生じる痛切な苦悩など、一人の人間、一人のクリスチャンとしてのパウロのあるがままの感情や思いも躊躇なくつづられているからといえるでしょう。
5 ローマ書が書かれた場所と時期
聖書の記録を比較することによりローマ書はコリントで書かれたと結論付けることができます。パウロは三回目の伝道旅行でコリントを訪問し、そこを出発してエルサレムに向かおうとしていた時にこの書を書いたようです。したがって書かれた年代も57-58年ごろと推定されています。
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