内面のユダヤ人①(ローマ2:17-24)
罪と裁きにおいてはユダヤ人と諸国民の間に何ら差がないことを6-16節で学習しました。17-29節でパウロはさらに論議を進め、差がないどころか場合によってはユダヤ人より諸国民のほうが神に是認されうることを明らかにします。神にとって重要なのは外面でなく内面であることが強調されています。
2:17-20 さて,もしあなたが名目上のユダヤ人で,律法に頼り,神を誇りとし,また,律法から口頭で教え諭されているために,神のご意志を知り,優れた事柄を是認しているのなら,そして,自分が盲人の手引き,闇にいる者の光,道理をわきまえない者の矯正者,みどりごの教え手で,律法のうちに知識と真理の骨組を持っていると確信しているのであれば―
ユダヤ人は自分がユダヤ人であることを名誉に思っていました。17-20節には彼らがどのように自分の外見を誇っていたかが記されています。
2:17-20 さて,もしあなたが名目上のユダヤ人で,律法に頼り,神を誇りとし,また,律法から口頭で教え諭されているために,神のご意志を知り,優れた事柄を是認しているのなら,そして,自分が盲人の手引き,闇にいる者の光,道理をわきまえない者の矯正者,みどりごの教え手で,律法のうちに知識と真理の骨組を持っていると確信しているのであれば―
ユダヤ人は何よりも律法に絶大な信頼を寄せており、自分の救いは律法によって確証されているという安心感を抱いていました。
2:17-20 さて,もしあなたが名目上のユダヤ人で,律法に頼り,神を誇りとし,また,律法から口頭で教え諭されているために,神のご意志を知り,優れた事柄を是認しているのなら,そして,自分が盲人の手引き,闇にいる者の光,道理をわきまえない者の矯正者,みどりごの教え手で,律法のうちに知識と真理の骨組を持っていると確信しているのであれば―
また彼らは自分たちだけが真の神を崇拝していると信じ、神との特別な関係を有していることを理由に優越感を抱いていました。
2:17-20 さて,もしあなたが名目上のユダヤ人で,律法に頼り,神を誇りとし,また,律法から口頭で教え諭されているために,神のご意志を知り,優れた事柄を是認しているのなら,そして,自分が盲人の手引き,闇にいる者の光,道理をわきまえない者の矯正者,みどりごの教え手で,律法のうちに知識と真理の骨組を持っていると確信しているのであれば―
幼いうちから律法を学んでいたユダヤ人たちは、自分が神の意志を熟知しており、「優れた事柄」すなわちなすべきことを見分ける判断力を持っていると思っていました。
2:17-20 さて,もしあなたが名目上のユダヤ人で,律法に頼り,神を誇りとし,また,律法から口頭で教え諭されているために,神のご意志を知り,優れた事柄を是認しているのなら,そして,自分が盲人の手引き,闇にいる者の光,道理をわきまえない者の矯正者,みどりごの教え手で,律法のうちに知識と真理の骨組を持っていると確信しているのであれば―
多くのユダヤ人は自分たちが諸国民より優秀であるとして疑わず、神の言葉については自分たちが他の国民を指導する立場にいると考えていました。諸国民を「盲人」、「闇にいる者」、「道理をわきまえない者」、「みどりご」と位置づけ、一方で自ら「手引き」、「光」、「矯正者」、「教え手」をもって任じることで彼らの自尊心は大いに満たされていたに違いありません。
2:17-20 さて,もしあなたが名目上のユダヤ人で,律法に頼り,神を誇りとし,また,律法から口頭で教え諭されているために,神のご意志を知り,優れた事柄を是認しているのなら,そして,自分が盲人の手引き,闇にいる者の光,道理をわきまえない者の矯正者,みどりごの教え手で,律法のうちに知識と真理の骨組を持っていると確信しているのであれば―
彼らは律法を持っているゆえに知識と真理の全部を会得していると確信していました。
2:21 それなのに,ほかの人を教えているあなたが,自分を教えないのですか。
多くの誇りを持っていたユダヤ人ですが、そのわりには素行がその誇りにふさわしいものではありませんでした。もし神の言葉を教える立場に自分を置くのであれば、少なくともそれを実行するところから始めるべきだったはずです。
パウロは彼らの見苦しい実態に対して義憤を爆発させ、立て続けに彼らの律法違反を指摘します。
2:21 「盗んではいけない」と宣べ伝えているあなたが,自分では盗むのですか。
第一は盗みです。盗みは主に他人に対する罪です。ユダヤ人は盗みが悪であると説きながら、自分自身が同じことを行っていました。
2:22 「姦淫を犯してはいけない」と言っているあなたが,自分では姦淫を犯すのですか。
第二は姦淫です。姦淫は主に他人と自分の体に対する罪です。
たとえ現実に姦淫を犯していなくても、その行為の動機となる心が自分のうちにあるなら、それは罪を犯しているのと同じです。姦淫の罪についてイエスが言われたことを思い出してください。現実の姦淫はもとより他人の妻に情欲を抱くことも姦淫の罪に含まれるということでした。(マタイ5:27-28) パウロの非難は決して的外れなものではありませんでした。
たとえ現実に姦淫を犯していなくても、その行為の動機となる心が自分のうちにあるなら、それは罪を犯しているのと同じです。姦淫の罪についてイエスが言われたことを思い出してください。現実の姦淫はもとより他人の妻に情欲を抱くことも姦淫の罪に含まれるということでした。(マタイ5:27-28) パウロの非難は決して的外れなものではありませんでした。
2:22 偶像への憎悪を表わしているあなたが,自分では神殿のものを奪うのですか。
第三は神殿強盗です。これは神に対する罪です。
ここでいう「神殿」については、異教の神殿を指すと見る説とエルサレム神殿を指すと見る説があります。
異教の神殿を指すと見る場合は、偶像を忌み嫌っておきながらその供え物を略奪して利得を得るという矛盾行為をパウロが非難していると解釈することになります。
エルサレム神殿を指すと見る場合は、神殿に対する義務を十分に果たさないことによって神のものを自分のものにする行為が非難されていると解釈することになります。不具の動物を犠牲として差し出すことや神殿税を納めないことなどがその行為の例ですが、こうした行為はまぎれもない冒涜であり、神を偶像扱いしているも同然です。
2:23 律法を誇りとしているあなたが,自分では律法に違犯して神を辱めるのですか。
ユダヤ人は自ら律法に違反し、盗みや姦淫、聖なる物の略奪を行っていました。これらの悪行は神を辱めるものでした。
2:24 「神の名はあなた方のために諸国民の間で冒とくされている」とあるのであり,書かれているそのとおりです。
律法を守って当然のユダヤ人がこれを破ることでイザヤ52章5節のような状態が生じていました。彼らの悪い行いはそのまま神の名を傷つける結果となっていたのです。神の名をあがめるべき民がかえってそれを汚すとは実に由々しい罪です。
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